更新:2007年03月06日
中学校3年
私は、つい最近いじめについて考えるようになりました。
私は、小学生の頃「いじめ」にあいました。最初は軽いかんじで無視をしたり、仲間はずれだけでしたが、日に日にエスカレートしていきました。今までずっと仲良くしていた友達は私からどんどん離れていって、いつのまにか一人になってしまいました。私を見るクラスの人たちは、嫌なかんじでこっちを見ては、悪口を言うことの繰り返しでした。二人で一組になる時もクラスの子は、しかたなく私の方へ来て小さな声で「なんであたしなの、嫌だ」と言ってとても心に傷がつきました。いままで仲の良かった友達に裏切られた気分でした。とても悲しくて信じられませんでした。
ある日クラスのみんなで小屋の掃除をしていたとき、私は信じられない言葉を聞きました。クラスの人が私に近づいたときに、その人の友達がクラスの人に向かって「その子汚いから、近づいたらバイキンがうつるよ。」と言いました。私はその言葉にとても傷つきました。「私汚くない、なんでそんなひどいこと言うの。」と心の中で叫びました。
私は学校に行くのが嫌になっていきました。またどうせいじめにあうから行きたくない、行ったとしても一人ぼっちで孤独でさみしいから嫌だと思うようになりました。そして私はついに不登校になりました。
そんなある日、私の家に手紙が届きました。それはクラス全員のごめんの手紙でした。そこには一人一人のごめんの文章がつづられていました。私はその手紙を読んで、とてもうれしかったけど、逆にこんなことをしてまた私を裏切るのかと思いました。そのときの私には信じるという言葉なんて残っていませんでした。だけど、一人の女の子が私の家に来て泣いて今までのことを謝ってくれました。今度は大丈夫かなと思い、少しずつ学校に行けるようになりました。
中学校に入ってもいじめは続いていました。次は私ではなく、以前私をいじめていたリーダーの人でした。また同じことを繰り返そうとしていたので、本当は嫌だったけど私が助けてあげないとだめだと思い、私はその子と仲良くしました。だけど、クラスの子から「なんであいつと仲良くするん、あいつなんかほっとけばいいんよ。」と言われました。けれど、私は助けることをやめませんでした。その子は私に「ありがとう。」と言ってくれました。私は信じられる友達ができたので「友達っていいなぁ」と思いました。その時私は友達の大切さに気付かされたと思いました。差別なんてして欲しくないし、したくありません。そして「いじめなんてしたらいけん。」と胸をはって言えるようになりたいです。
同じこの世に産まれた人間なんだから、同じ人間を差別するのは、最低だし恥だと思います。だから私はいじめをする人を注意したり、いじめられてる人を助けてあげられる人になりたいです。
友達の大切さに私はいじめのお陰で気付くことができたので、これをマイナスにせずプラスに変えていきたいです。友達を大切にして、絶対に裏切ったりしたくありません。そして、もし友達がつまずいた時には一緒に悩んだりしながら気持ちを分かちあって信じあっていきたいと思います。
「いじめ」は絶対に許されない行為で、差別の構造そのものです。すべての子どもに、一人一人が誰にも侵されることのない大切な命を持っているという意識や、人の心の痛みに共感できる心豊かな人権感覚を育んでいくことが大切です。学校、家庭、地域の人たちがしっかりと連携しあって子どもの出すサインを見逃さない姿勢を持ち、それぞれの場で子どもの人権が尊重される社会の実現をめざしましょう。
皆さんはどうお考えですか?
育てよう 心のいたみ わかる子を
手をつなごう 差別の無いまち 新浜田