小学校6年生
私には、生まれつき右足がありません。言い替えると「障害」をもっていることになります。「障害」とはなんともいやな言葉ですが、他によい言葉が見つからないのでそのまま使います。
右足がないことで、歩くのが少し遅くなったり、スポーツをするとき人より疲れたりすることがあります。でもそのことで差別されたことはありません。
休み時間には、鬼ごっこやバレーをして遊びます。小さい頃には、動きが激しすぎて装具をこわしてしまったこともありました。何より友達が「○○もする?」と誘ってくれるのがうれしいです。だから、ついつい夢中になって遊んでしまいます。
帰るとき、私が「一緒に帰ろう。」と言うと「うん、いいよ。」と友達は言ってくれます。少し歩くのが遅い私に、自然と歩調を合わせてくれています。私の障害をごく自然に受け止めてくれている友達に、とても感謝しています。私は、体育の授業にも参加しています。人が三周走るところを二周にするとか、できない種目のときには、手伝いという形で参加するとか、自分なりに考えながら取り組んでいます。百メートル競走では、人の倍くらい時間がかかりますが、「○○頑張れ。」と私が走りきる最後まで友達は応援してくれます。また、どう走るかどう跳ぶかで困った時には、相談にも乗ってくれます。
友達に支えられ、充実した学校生活を送っている私には、「障害」や「差別」といったことは、ついつい遠いことのように思えてしまいます。ですが、本当はそうではないはずです。
以前私は、担任の先生から次のような話を聞きました。「体や心に障害を持つということは確かに不便なことです。ですが、不幸なことではありません。不便と不幸を混同してはいけません。」私は、先生のこの言葉を聞いて「確かにそうだなあ。」と思います。障害を持っているからかわいそう、そんな考え自体が障害者を差別していることになる。そう思うようになりました。
でもよく考えると、私もそんなことを思ったことがあります。テレビで重い病気をもった人の場面を見た時何気なくかわいそうと何度も思いました。自分は違う場所から他人事としてとらえている。その上で「かわいそう」という言葉で済ませていたのです
私のことを知らない人から右足のことでかわいそうと思われるなんて、私は、絶対にいやです。かわいそうと思う人には悪気はないと思いますが、差別はそんなふうに何気ないところから起こるんだと思います。そして、気がつかないうちに進むので恐いのだとも思います。
私は右足のない体で生まれてきました。多少不便なことはありますが、友達がいます。決して不幸ではありません。これからも明るく前向きに生きていきたいと思います。