中学校3年生
母から聞いたこの話は僕がまだ産まれる前のことだった。父と母は愛知県に住んでいたが、親の病気の看病のため母の実家のある鹿児島県に帰ってきていた。すぐに住む所はなく母の実家にいながら借家を探していたらしい。そして広くて安いとてもいい物件を見つけ出した。そこに決めようと思い、契約に行く日に近所の人から
「あんなとこに住むもんじゃないよ。あの地区はA(※注1参照)の地区だから、あんたらも何言われるかわからないよ。」と。
僕はここまで聞いてAてなんなんだ?何の事を言っているのかさっぱりわからなかった。話を止めて「Aの地区ってなに?。」と聞いてみた。母は「Aていうのは昔、B(※注2参照)と呼ばれていた人をこの辺ではそう呼んでいたんだよ。」と教えてくれた。地区で牛や豚の解体などもおこなわれていたらしいとも。父も母もそのような事は何も気にしなかったが、実家の近所の人達があまりにも言うのでその家を借りるのはやめた。母がその地区に高校の時の友達がいて、友達まで悪く言われている様でひどく気分が悪かったと少し興奮気味に言っていた。「ねぇ、あんたはこの話聞いてどう思った。」母が聞いてきた。僕はそのような考えを持った人が近所にいた事に驚いていた。同和問題が深刻なのは知っているけれど、身近でそういった話を聞くのははじめてだったから。何故牛や豚を解体しているからといってさげすまれなければならないのか、みんなそれを食べて生きているはずなのに。
今でも鹿児島に遊びに行けば笑顔で挨拶する人達があのような差別的な事を言うなんて信じられない気持ちだった。これはこの人達が悪いわけではなく、きっとそう教えられて生きてきた結果なのだろうと思った。それがいいか悪いかを考えることもなく、ただ、ただその時代は当たり前の事だったのだと思う。そしてそれを間違いだと言ってくれる声を聞き入れていないのだ。
僕らの世代はそれを間違いだと言いつづけなければならない。母が「あんた達が今からでもいいから大人のした間違いを正していけばいいじゃん。これからがあんた達の時代なんだから。」と言った。決して簡単な事ではないと思う、でも僕は母の言葉に大きくうなずいた。このままではいけないのだ。どこかで長く続いた差別のくさりを断たなければならない。
僕達が社会を背負う時、こんないわれのない差別をなくしていかなければならない。差別という言葉がなくなるまで僕達は進んでいくしかない。
もし鹿児島に行って近所の人に出会ったらその時の話を聞いてみたい。そして僕の考えも聞いてもらいたい。すぐにはわかりあえないかもしれないけれど、話をすることで何かが変わるかもしれない。それが差別をなくす小さな一歩となってほしい。人間はみな平等でなければならないのだから。
※本人の了解を得てA・Bとし注をつけました。
(注1) Aは、その地域で使われていた同和地区の人たちを差別し、さげすんで呼んだ
表現・言葉。
(注2) Bは、江戸時代に同和地区の人たちに用いられた差別的な呼称。
明治4年のいわゆる「解放令」で、この差別的な呼称は以後使っては
ならないことになり ました。