浜田城に関する資料館・城山整備に関する事業内容を紹介します。応援してください。
更新:2010年03月11日
浜田城は、元和5年(1619)に初代藩主となった古田重治により築城されました。しかし激動の幕末を向かえた慶応2年(1866)7月に第二次長州征伐(石州口の戦)が起こり、徳川慶喜の弟松平武聡(たけあきら)が藩主であった浜田藩は幕府軍の中核として、大村益次郎率いる長州軍と戦いましたが敗れ、ついに「自焼退城」と決し、城としての役割を終えました。その後、浜田から、美作国鶴田(たづた 岡山県津山市)の地に移りました。

当時の様子を伝える慶応2年合戦取合図
浜田城にゆかりのある建物「御便殿」(ごべんでん)の寄附を受け、この歴史的建造物を「浜田城資料館」として多くの皆さんに浜田城や浜田藩の歴史を理解いただくとともに、多目的に利用できるような施設として建設することを検討しています。

明治40年に東宮殿下(後の大正天皇)が宿泊された歴史的建造物「御便殿」
浜田城の関係資料を保存・活用できる資料館及びその環境を整備し、歴史・文化の伝承と地域性豊かな浜田の実現をめざしています。そのための啓発事業として、平成19年度には、「発見!浜田城」ウォークラリーを行い、子どもたちを含めた多くの市民の方々に浜田や浜田城の歴史を理解していただくことにつながりました。現在、「発見!浜田城写真コンテスト」作品を募集しています。
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浜田城跡は島根県指定史跡、島根県立自然公園、浜田市都市公園として保存と整備を図っています。また、平成元年9月には、司馬遼太郎碑文による「浜田藩追懐の碑」が建立され、浜田の城下町時代の文化を顕彰するとともに、先人の事績をたずね、遺徳を偲んだものであり、浜田の灯火として維持管理しています。

浜田藩追懐の碑のしだれ桜

浜田藩追懐の碑