このページの本文へ移動

浜田市の概要

2016年 5月 11日

  • 印刷する
「住みたい 住んでよかった 魅力いっぱい 元気な浜田」
~豊かな自然、温かい人情、人の絆を大切にするまち~ 
 
 平成17年10月1日に、浜田市、金城町、旭町、弥栄村、三隅町の5市町村が合併し、新「浜田市」が誕生しました。
 全国に誇れる海、山などの美しい自然と、石見神楽やユネスコの無形文化財遺産に記載された石州半紙などの伝統文化、海水浴場、スキー場、しまね海洋館アクアスなど豊かな自然を活かした観光資源を有しており、また、高速道路、港湾などの都市基盤や大学、美術館をはじめとする教育文化施設が充実した、人と文化と自然の調和のとれた島根県西部の中核都市です。
 

位置・面積

 島根県西部の日本海を望む位置にあり、東は江津市、邑南町、西は益田市、南は広島県に隣接しています。
 市域は、東西46.4キロメートル、南北28.1キロメートルで、面積690.66平方キロメートルです。
 

地勢

 浜田市の大部分が、丘陵地や山地で、中国山地が日本海まで迫り、また、切り立ったリアス式地形と砂丘海岸の織り成す海岸線は、優れた自然景観と天然の良港をもたらしています。
 市には、浜田川、周布川、三隅川等の主要河川が流れており、水資源に恵まれ、河川の下流域には平地を形成し、市街地や農地が展開しています。全体としてまとまった平地は少ないですが、豊かな自然を有し多面的機能をもつ中山間地域に恵まれ、国土および環境の保全や地下水の涵養等に大きな役割を果たしています。
 

気候

 対馬海流の影響で比較的温暖であり、冬季の積雪も少なく自然環境や居住条件に恵まれた地域です。
 

歴史

 浜田市は、旧石器時代から人々の営みが認められ、早くから開けるとともに、奈良時代には石見国の中心地として、国府や国分寺などが置かれました。
鎌倉時代になると、福屋氏、周布氏、三隅氏、永安氏などが支配し、周布氏や三隅氏は朝鮮王朝とも交易を行い、港が賑わいました。
 江戸時代の浜田市は、海岸部に浜田藩(5.5万石)、山間部に津和野藩(4.1万石)が置かれ、現在の市街地には浜田藩の城下町が建設され、港の発展と山間部で生産された半紙、鉄などが輸出されました。しかし、慶応2年(1866)の第二次幕長戦争で、長州軍の進攻を受け、浜田藩は自焼退城となりました。
 明治3年(1870)、浜田県の県庁所在地となり、翌年には津和野県を廃して合併し、石見の中核都市としての土台が築かれ、明治9年(1876)に島根県と合併しましたが、那賀郡役所が置かれるとともに、港の整備や山間部の道路整備などの近代化が図られ、発展しました。  

 

このページに関するお問い合わせ先

ページの先頭へ戻る