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紙本著色仏涅槃図

指定日:平成14年2月22日
所在地:浜田市田町
所有者:龍泉寺


涅槃図


 玉置荊窓(たまおきけいそう)によって描かれた涅槃図である。荊窓は安永9年(1780)に阿波国(徳島県)に生まれ、文化の頃に浜田へ来て、文化9年(1812)には家老岡田頼母(おかだたのも)の庇護を受けていたと伝えられる。文政5、6年(1822~23)には京都で四条派の松村景文に学び、名前を景窓(けいそう)と改め、文政12年(1829)に大田で没している。
 釈迦の臨終の情景を、確かな描写力と鮮やかな彩色によって迫力のある作品に仕立てており、荊窓の代表的な作品といえる。署名、落款はないが、表装の裏面に由来が貼り付けてあり、文化11年(1814)の正月に住職の日性師と檀家の求めにより描き始め、7月に完成している。この時期、日蓮宗龍泉寺は本堂等を再建しており、この一連の事業のなかで依頼されたものと考えられる。
 なお、生湯町の多陀寺にも、荊窓が文政4年(1821)に描いた涅槃図がのこされている。
 ◇縦208.4cm×横181cm

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