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浜田市立第一中学校屋内運動場・島根県立浜田高等学校第二体育館

指定日:平成9年5月7日
所在地:浜田市黒川町
所有者:浜田市 ・島根県

 

浜田市立第一中学校屋内運動場
写真は浜田市立第一中学校屋内運動場



浜田は、明治以降、浜田県庁あるいは島根県の役所が設置されるなど、石見の政治・経済の中核都市として、著しい発展を遂げている。さらに、「歩兵第二十一聨隊」の浜田転営は、軍都的性格を帯びることとなり、浜田の近代化のなかで、重要な位置を占めることとなる。
日清戦争後の師団増設により、連隊は明治31年(1898)に、広島から浜田に転営した。この転営は、浜田を大きく変貌させている。連隊用地となった黒川や周辺地域には、連隊司令部、兵舎、訓練施設や関連施設が次々と建設、整備された。また、2000人にのぼる兵士の駐留に、浜田は賑わい、経済的に大きく発展をみている。
幾多の軍事作戦に出征した連隊は、第二次世界大戦終戦によりその歴史を閉じるが、今、黒川の旧連隊跡に建てられた「歩兵第二十一聨隊跡」と刻まれた記念碑が、明治31年以来半世紀にわたる連隊の存在を物語っている。
戦後、旧連隊施設は、学校施設として利用され、浜田市立第一中学校屋内運動場、島根県立浜田高等学校第二体育館は、当時の連隊の「雨覆練兵場(あめおおいれんぺいじょう)」であり、残り少ない旧連隊施設である。

雨覆練兵場は、「歩兵第21聨隊」の訓練施設として設計、建設された。広い間口、柱の無い広い空間を必要とする体育施設を建設する場合、木造構造では、多くの制約を受けていた。このため、当時の最新の西洋建築技術を取り入れ、煉瓦(れんが)造り及び鉄骨小屋組を用いて建築されている。同工法による施設建築は、国内でも初期のものであり、近代建築史上、貴重な建物である。

○浜田市立第一中学校屋内運動場
煉瓦造平屋建・切妻造・スレート葺き
建築面積639m2
建設年  明治31年(1898)
建設年=学校施設台帳による

○島根県立浜田高等学校第二体育館
煉瓦造平屋建・切妻造・スレート葺き
建築面積644m2
建設年  大正5年(1916)
建設年=学校施設台帳による

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