このページの本文へ移動

浜田の人物誌

  • 印刷する

氏名 出身地 生没年 功績 参考書籍
上迫忠夫
(うえさこただお)
浅井町 大正10年
~昭和61年
(1921~1986)
昭和27年のヘルシンキオリンピック男子徒手(床運動)で銀メダル、同跳馬で銅メダルを獲得。その後、日本チーム監督や国際審判員として活躍。 〔浜下〕pp.170-171.
〔浜1〕pp.64-71.
〔浜人〕pp.38-43.
大島幾太郎
(おおしまいくたろう)
真光町 明治4年
~昭和24年
(1871~1949)
小学校の訓導(現教諭)、校長を歴任。会津屋(今津屋)八右衛門など、郷土資料を研究。数多くの郷土史の本を著す。 〔浜上〕p.322.
〔浜2〕pp.18-27.
〔浜人〕pp.20-25.
大達茂雄
(おおだちしげお)
真光町 明治25年
~昭和30年
(1892~1955)
満州国法制局長、昭南特別市(シンガポール)市長、東京都初代長官等を歴任。戦後、第5次吉田内閣の文部大臣に就任し、教育二法を成立させた。 〔浜上〕pp.442-449.
〔浜1〕pp.24-31.
〔浜人〕pp.1-5.
大橋仰軒
(おおはしぎょうけん)
三隅町 天明4年
~文政11年
(1784~1828)
宮中に勤める御殿医に医術を学ぶ。漢学や書画にも通じ、多くの著述を残している。また、碑の撰文が数多く残っており、有名なものに佐々木桜の碑がある。 〔三人〕pp.57-61.
岡本重威
(おかもとしげたけ)
弥栄町 天保6年
~明治43年
(1835~1910)
長安部役所初代戸長。郵便局の取締役も務める。明治6年3月の学制実施に伴い、一等教員となり、漢書・習字・珠算等を寺子屋形式で教える。 〔弥〕pp.204-205.
〔弥わ〕p.73.
岡本砂右衛門勝重
(おかもとすなえもんかつしげ)
金城町
七条
正徳2年
~延享3年
(1712~1746)
享保17年より7年間、引き続く災害により大飢饉となった際、耕地の実地踏査及び減高を藩に願い出て、住民を救う。 〔金〕pp.470-471.
岡本甚左衛門
(おかもとじんざえもん)
金城町
七条
安永3年
~天保13年
(1774~1842)
私財を投じて、七条原を開拓。農業用水の堤や水路を数多く作り、農家・鍛冶屋を住まわせて「新開所」と呼ばれる村を作る。 〔金〕pp.471-473.
廓英法師
(かくえいほうし)
  ~天明元年
(   ~1781)
万葉集と古今和歌集を愛唱し、本居宣長の尚古精神(昔の思想・物事を尊ぶ精神)を尊崇した歌人。墓碑正面は浜田藩家老岡田頼母書、撰文は小篠御野。 〔三人〕pp.37-39.
梶目甚一
(かじめじんいち)
元浜町 明治22年
~昭和60年
(1889~1985)
漁具・漁法の研究、改良に取り組み、浜田で最初に底引き網漁を導入。その後長崎より漁法を導入し、二艘曳漁具・漁法を研究。浜田漁港修築に力を注ぐ。
〔浜2〕pp.48-57.
片岡ヒデ
(かたおかひで)
江津市 明治11年
~昭和24年
(1878~1949)
各地の小学校に勤め、学校給食の基礎づくりに尽力。栄養を考えた献立作り、食事マナーの指導、給食室の衛生管理に力を注ぐ。
〔浜2〕pp.38-47.
川上清吉
(かわかみせいきち)
新町 明治29年
~昭和34年
(1896~1959)
独学で高等教員の資格を取得し、浜田高校の校長などを経て、島根大学教授となる。教壇を去った後、親鸞を研究。浜田市民歌作詞。 〔浜下〕p.149.
〔浜1〕pp.48-55.
木村晩翠
(きむらばんすい)
三隅町 明治5年
~昭和34年
(1872~1959)
小学校教師として教育に力を尽くす。小説・随筆・郷土史など数多く執筆し、昭和28年に島根県知事より文化功労者として表彰される。 〔三人〕pp.99-102.
栗栖澤子
(くりすさわこ)
三隅町 ~昭和52年
(   ~1977)
婦人会結成のために奔走し、婦人の地位向上に尽力。他の市町村の先駆けて、昭和25年に杵束保育園を設立。社会公共のために尽くす。 〔弥〕pp.227-228.
〔弥わ〕p.78.
栗栖太三郎
(くりすたさぶろう)
弥栄町
木都賀
安政7年
~大正9年
(1860~1920)
明治の末から大正の初期にかけて、約10年にわたって先駆的な耕地整備を行い、今日の基盤整備の元となっている。野坂・大斉・西の郷・錦が岡の美しい田が完成。 〔弥〕pp.217-219.
〔弥わ〕pp.74-75.
厨川千江
(くりやがわせんこう)
高田町 明治11年
~昭和15年
(1878~1940)
夏目漱石に学んだ俳人・教育者。県立第二中学校(現浜田高校)始め、各地の教壇に立つ。山口県の図書館長に任命され、近代的な図書館の整備に尽力。 〔浜下〕pp.226-227.
〔浜2〕pp.28-37.
〔浜人〕p.51.
小石雄治
(こいしゆうじ)
真光町 明治27年
~昭和59年
(1894~1984)
浜田中学・大阪高等工業学校卒業後、大阪発動機(株)に入る。機械工業の発展とともに、自然環境を守る活動にも取り組む。ダイハツ工業(株)の初代社長。 〔浜上〕p.855.
〔浜1〕pp.32-39.
〔浜人〕pp.25-32.
小松原彌市
(こまつばらやいち)
浜田市
長見町
~昭和12年
(   ~1937)
長安、木束等の各小学校長を務め、青少年の教育や社会教育に尽くした。また、産業の復興を図るため六歩谷部落を中心とし「報徳社」を作る。 〔弥〕p.207.
〔弥わ〕p.77.
佐々木丈左衛門
(ささきじょうざえもん)
  ~天明3年
(   ~1783)
飢餓に苦しむ住民を救うため、三隅地方へ薩摩芋の種芋を移入し、栽培普及に尽力した三隅組代官。代官の愛した桜が、佐々木桜と呼ばれるようになった。 〔三〕pp.332-333.
〔三人〕pp.63-65.
佐々木満寿
(ささきます)
温泉津町
井田
明治30年
~昭和61年
(1897~1986)
今市村の婦人会を創設し、社会活動に尽力。昭和8年、私財を投じて今市製紙工場を設立し、住民の失業を救済。働く女性のために、今市保育所を設立。 〔旭下〕pp.608-609.
〔旭続〕pp.448-449.
佐々田 懋
(ささだすすむ)
旭町
木田
安政2年
~昭和15年
(1855~1940)
浜田県議・那賀郡議・島根県議・同議長等を務め、三大道路の完成を始め、数々の業績を残す。明治23年、衆院議員議員に当選。 〔旭中〕pp.358-383.
島村抱月
(しまむらほうげつ)
金城町
小国
明治4年
~大正7年
(1871~1918)
坪内逍遥とともに、文芸協会を設立。その後脱退し、女優松井須磨子と芸術座を結成。近代劇指導者として活動。日本近代劇の大衆化に尽力。 〔金〕pp.488-489.
〔浜上〕pp.335-336.
竹本正男
(たけもとまさお)
国分町 大正8年
~平成19年
(1919~2007)
体操選手。昭和27年のヘルシンキ五輪から、三大会連続出場のメダリスト。昭和35年のローマ五輪では、体操で初の金メダルを獲得。日本チーム監督としても活躍。 〔浜下〕p.170.
〔浜2〕pp.88-97.
〔浜人〕pp.54-57.
俵國一
(たわらくにいち)
真光町 明治5年
~昭和33年
(1872~1958)
ドイツ留学にて鉄冶金学を研究。帰国後、東京帝国大学教授。金属顕微鏡を導入し、金属組織を研究。和鋼と日本刀研究の第一人者。昭和21年文化勲章受賞。 〔浜上〕pp.436-442.
〔浜1〕pp.8-15.
〔浜人〕pp.5-8.
俵孫一
(たわらまごいち)
真光町 明治2年
~昭和19年
(1869~1944)
政治家。内務省に入り、三重県・宮城県知事・北海道長官等を歴任後、大正10年衆議院議員に当選。昭和4年より浜口内閣で商工大臣。浜田港改修等に尽力。 〔浜上〕pp.431-436.
〔浜2〕pp.8-17.
〔浜人〕p.1.
寺田八百助
(てらだやおすけ)
金城町 ~明治23年
(   ~1890)
天保の大飢饉の際、水耕開削を願い出て、約5.5キロメートルの水耕工事を3年かけて完成。これにより、今田地区内に広く灌漑ができるようになった。 〔金〕pp.473-474.
豊原観一郎
(とよはらかんいちろう)
旭町
和田
文久4年
~大正11年
(1864~1922)
医師として活躍する傍ら、果樹園芸の普及指導。和田の桃が有名。天然痘を撲滅した医師ジェンナーを称える「ジェンナーの碑」建立の発起人。 〔旭中〕pp.867-872.
〔旭続〕pp.618-622.
〔旭下〕p.717.
豊原喜一郎
(とよはらきいちろう)
旭町 文政3年
~明治16年
(1820~1883)
彫刻師。「和田の匠」と呼ばれた名工で、石見の三門(木田の正蓮寺、市木の浄泉寺、阿須那の西蓮寺)が有名。 〔旭上〕pp.416-418.
能海寛
(のうみゆたか)
金城町
長田
慶応4年
~明治34年
(1868~1901)
19歳でチベット探検を公言。語学・医学を学び単独探検に備え、実践した学僧。第3次探検の際、明治34年4月18日の手紙を最後に消息を絶った。 〔金〕pp.481-483.
〔能海〕
橋本明治
(はしもとめいじ)
田町 明治37年
~平成3年
(1904~1991)
日本画家。数多くの人物画の他、政府の委嘱で法隆寺金堂壁画を模写。皇居新宮殿壁画「桜」、出雲大社壁画「竜」等。昭和49年文化勲章受賞。 〔浜下〕pp.239-240.
〔浜1〕pp.56-63.
〔浜人〕pp.32-37.
服部之總
(はっとりしそう)
旭町
木田
明治34年
~昭和31年
(1901~1956)
正蓮寺の長男として生まれる。マルキシズムの立場から、明治維新史を研究。戦後、鎌倉アカデミアや法政大学の教壇に立つ。 〔旭上〕p.418.
〔旭中〕p.348.
藤田重一
(ふじたしげかず)
金城町
上来原
明治27年
~昭和59年
(1894~1984)
17歳より弟子入りして彫刻の技術を磨き、各地の神社、仏閣の彫刻などを手がけた。北九州市戸畑公園内戦没者慰霊塔平和の鳩が有名。 〔金〕pp.502-503.
細川勝三
(ほそかわかつぞう)
今市村 明治40年
~昭和45年
(1907~1970)
石見神楽衣装を創意工夫して作成し、現在の衣装の原型を作る。大蛇の硝煙装置などの利用を考案。口伝えで続けられていた石見神楽台本の研究、出版。 〔浜2〕pp.68-77.
〔浜人〕pp.49-50.
丸川久俊
(まるかわひさとし)
錦町 明治15年
~昭和33年
(1882~1958)
大正10年日本海の有名な漁場、大和堆を発見。養殖の研究が世界的に認められ、西ドイツへ2年間留学。プランクトンを研究。浜田水産高校の開校に尽力。 〔浜上〕pp.456-460.
〔浜1〕pp.16-23.
〔浜人〕pp.8-16.
右田古文
(みぎたこぶん)
弥栄町
田野原
嘉永7年
~昭和8年
(1854~1933)
明治7年の木束部副戸長を始めとし、村・郡・県など、数多くの役職を歴任。明治31年には、衆議院議員に当選。また、産業経済界においても活躍。 〔弥〕pp.219-221.
〔弥わ〕p.76.
三隅兼連
(みすみかねつら)
三隅町 ~文和4年
( 正平10年)
(   ~1355)
石見国内の豪族、三隅氏4代目当主。後醍醐天皇の船上山挙兵に加わった、南北朝時代の武将。足利直冬に従い南朝方として上洛し、足利尊氏と戦う。 〔三〕pp.183-211.
〔三人〕pp.17-25.
山根俊久
(やまねとしひさ)
日脚町 明治29年
~昭和54年
(1896~1979)
郷土史家・教育者。石見銀山を研究し基礎を築き、「石見銀山を世に紹介した恩人」として知られる。また、浜田の歴史解明に努めた。 〔浜1〕pp.40-47.
〔浜人〕pp.16-19.
湯浅啓温
(ゆあさひろはる)
旭町
和田
明治33年
~昭和28年
(1900~1953)
昆虫学者。主に甲虫類・ハエ類などの農作物害虫を研究。「害虫学」という科学を唱えた。イネカラバエの研究で、昭和27年に農学博士の学位授与。 〔湯浅〕

参考書籍
〔旭上〕 旭町,『旭町市 上巻』,昭和52年10月30日
〔旭中〕 旭町,『旭町市 中巻』,昭和60年03月30日
〔旭続〕 旭町,『旭町市 中続巻』,平成8年10月30日
〔旭下〕 旭町,『旭町市 下巻』,昭和57年2月27日
〔金〕 金城町,『金城町誌 第一巻』,平成13年3月31日
〔能海〕 波佐文化協会,『西蔵探検家 能海寛』,平成14年3月
〔浜上〕 浜田市,『浜田市誌 上巻』,昭和48年11月5日
〔浜下〕 浜田市,『浜田市誌 下巻』,昭和48年12月25日 
〔浜1〕 浜田市教育委員会,『浜田の人物ものがたり 第一集』,平成7年4月1日
〔浜2〕 浜田市教育委員会,『浜田の人物ものがたり 第二集』,平成11年3月31日
〔浜人〕 山崎克彦,『浜田人物誌』,平成12年9月
〔三〕 三隅町,『三隅町誌』,昭和46年2月20日
〔三人〕 寺戸常雄,『三隅町の人物誌』,昭和59年8月25日
〔弥〕 弥栄村,『弥栄村誌』,昭和55年9月5日
〔弥わ〕 弥栄村郷土教育研究委員会,『わたしたちのやさか』,昭和56年4月1日
〔湯浅〕 旭町本郷自治会,『昆虫学者 湯浅啓温』,平成19年3月20日

【平成22年12月17日 浜田市教育委員会文化振興課 作成】

浜田藩に関わる人物については、浜田ふるさと資料庫内の『ふるさとを築いた人々』で紹介しています。

このページに関するお問い合わせ先

ページの先頭へ戻る