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歴史を歩く(旭)

おもな史跡等(説明板設置)

 地図上の史跡名をクリックすると、写真つきの説明をご覧いただけます。

地図

雲月かんな跡

 雲月かんな(鉄穴)は砂鉄の質のよいことと多産で知られ、江戸時代中期以後、鼡原庄屋、広島県加計の隅屋資本などにより採集され、八ツ木鈩その他の銑鉄原料になっていた。
主峰と旭町に属する「千人立」の山腹にはかんな溝の遺構が残っている。

雲月かんな跡

坂本の京塚

 この京塚は、昭和51年度発行の島根県遺跡台帳にのせられている。
この京塚は経を埋めたところ、あるいは定入りしたところともいわれている。近くに真言宗の寺があったという伝承もある。

坂本の京塚

今市本陣跡

 本陣跡の前通りが江戸時代陰陽を結ぶ重要な交通路であった旧広島街道である。
もともとここには町並みはなく、本陣を努めた大屋氏が家古屋城落城後の1570年~1573年に、移住したのがはじめといわれている。
参勤交代の一行は浜田を出て広島へは3日がかり、江戸へは約1か月の行程であった。

今市本陣跡

家古屋城跡

 1233年、益田氏から分家した福屋兼広は、旭町和田に居住し(推定)、山岳信仰の本明山に築城した模様である。その後、居住地に近い両子山に家古屋城を築いた。

家古屋城跡

正蓮寺山門

 この寺の山門は、1843年にとりかかり、1845年に落成している。
彫刻は「和田の工匠さん」と呼ばれる名工で、25歳で仕上げた名品として、有名である。
山門の龍は、夜毎に正蓮寺裏の益田堤に水を飲みに出たと伝えられている。扉の牡丹に唐獅子の彫刻は「陰陽照り降りの獅子」と言われ、晴雨の姿を見事に彫り分けている。

正蓮寺山門

山ノ内古墳群

 旭町木田から山ノ内にかけての丘陵には、現在40基の古墳が確認されている。多くは、直径10現在40基の古墳が確認されている。多くは、直径10m前後、高さ1mあまりの円墳と考えられる。横穴式石室が多いものと推測されていたが、調査により更に時代を逆上った箱式石棺・木棺・土壙墓の類も多く存在するものと考えられる。40基の古墳は分布状況から6つのグループに分けることができる。

山ノ内古墳群

尼御前城跡

 重富氏は、盛時八千貫といわれた今市家古屋城主福屋氏の有能な家臣として、代々重富の城に居城していたが、1561年安芸国郡山城主毛利元就の策謀により、主人たる福屋氏に攻められ落城した。
尼御前城とは、戦国の男達を相手に見事に散って逝って行った、ツヌにたいする尊敬の形容ではないかと思われる。

尼御前城跡

重富廃寺

 奈良時代の寺院跡で、昭和48年、圃助整備中の水田から単弁九葉鋸歯文の文様をもつ軒丸瓦が発見され、さらに平成2年には100mはなれた中国横断自動車道計画地内から瓦を焼いた窯跡も見つかった。またその後の調査で重富廃寺と思われる遺構も確認されている。
重富廃寺の瓦は備中(現岡山県)日畑廃寺の影響を受けているという。

重富廃寺

やつおもて古墳群

 やつおもて古墳群は、旭町重富の裏山の中に存在しており、6世紀頃につくられた約20基の古墳で構成されている。
18号墳は、石見地方で最大規模の二段に築かれた円墳で、石見地方の山間部では最古の円墳の可能性があり、後の律令制時代のに相当する地方に、最初に出現した首長墓であることが明らかになった。

やつおもて古墳群

京山経塚

 京都から来た開拓者夫妻の住居跡であり、墓地であるという。麓の川が加茂川に似ているので「都川」この地を「京の山」と命名したのだという。
夫妻は此の地で定入りしたともいう。本人の意志によって生きたまま土中に埋めさせて成仏することを定入りと称しており、節を抜いた竹筒を通じて外異から念仏の声を聞き、その絶えたときをもって成仏の日と定めたという。

京山経塚

久仁の墓

 時代ははっきりしないが大町(屋号)の上の土居屋敷に来尾の領主久仁(夫人)がいた。
来尾は古くから都川に斜面した峠の奥より水越堰を設けて水をひき耕作しており、この堰をめぐり都川赤谷の領主と争いが続いた。
久仁は一策を案じて「両邸より出向いて出逢う地を境界と定め、正八幡宮で誓いをたてて争いを止めてはどうか」と申し出た。
正八幡宮の祭日、久仁と都川の領主が出逢った地を境界と定め共に自刃した。遺言により来尾が一眺できる丘に埋葬し、これを久仁塚と呼んだ。

久仁の墓

早水渓谷

 県境の畳・三ツ石・仏伝・丸瀬の諸峰の水を集めて北流しているのが早水川である。 
巨岩寄石の間を、泡をうみ白濁となって奔流している。数多い滝と深渕の一つに丹後渕がある。
渓流にはヤマメ・イワナを求めて訪ねる人々は年々ふえている。幽谷に仰ぐ全山の紅葉は旭町随一の壮観である。

早水渓谷

むくろう樹

 我が国固有の暖帯産樹種といわれ樹齢800年以上という稀に見る古木として注目されている。
樹高20mを超え、目どおり直径3.24m、枝下の長さ3.4m、東側にイチョウの古木があり、枝は西・北・南の三方によく伸び樹形が龍のわだかまるに似ている といわれている。

むくろう樹

 

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