指定日:昭和42年5月30日
所在地:浜田市国分町
所有者:浜田市
窯跡は石見国分寺跡の西側に隣接し、国分尼寺跡からは南西に約450m離れた丘陵地に所在する。昭和42年の農地改良工事で発見され、緊急調査が実施されたが、焚口部分を含む全体の三分の一が失われていた。
窯の構造は半地下式の無牀式(むしょうしき)平窯で、推定全長は5m。焼成室は幅2.4m、長さ1.5mで、床面は水平である。燃焼室は焼成室床面より60cm低くし、断面U字形に掘りくぼめた段によって分けられている。天井はスサ入りの粘土と瓦片により固められ、焼成室の奥壁は下方に2~3段の磚(せん)を積み、その上方には瓦片によって構築されている。
窯跡からは軒瓦、平瓦、丸瓦、磚が出土しているが、ここで焼成されたと考えられる軒瓦は、八葉復弁蓮華文(はちようふくべんれんげもん)と三葉文を配す花草文軒平瓦であり、その文様構成から朝鮮半島の影響を受けたものとして注目されている。平安時代前半に石見国分寺、国分尼寺へ瓦を供給した遺跡として重要である。
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