指定日:昭和44年11月3日
所在地:浜田市治和町
所有者:個人
宗雄は、文政6年(1823)鍋石村(浜田市鍋石町)庄屋藤田屋藤井宗敷の三男として生まれ、幼名を百三郎、通称恭平と称し長じて宗雄と改めた。同郷の江尾兼愛(えのおけんあい)・兼参(かねみつ)父子の好学に刺激され平田篤胤の国学に傾注するなど、勉学に勤しみ、国学者・神道学者として名をなした。
安政4年(1857)に『中御柱』を著わしたのをはじめ、『久邇の御柱』、『焼鎌』を出す。藤園著作目録に「余れ曽て書籍を著す。概ね八十部二百巻なり…」とあるように『神代文字考』、『石見国郡考』、『石見年表』、『震譜』、『浜田鑑』などの膨大な著作を世に問うた。
明治3年(1870)に浜田県出仕を命ぜられ県内神社取調を行うとともに、明治10年(1877)には、石見国神道事務分局長を依嘱されるなど、多忙な生活の中で、歌を嗜み、その詠草八千首と称せられる。また、神楽の台本を整理し、現在の八調子石見神楽隆盛の基礎をつくる。明治32年(1899)鍋石に帰り、同39年(1906)84歳で没した。
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